Dear rosita

The blog is like strolling in own mind for me.

おさらばの思想

去る先月28日に放送された三國連太郎さんの追悼番組を見て結果的には良かったと今では思っている。

その時の私の率直な感想は以下のようなものだった。
ひとの死を受け容れるのには時間がかかる。

私の場合もそうだった。

私の父がすい臓がんであっけなく他界したのは97年(平成9年)の9月のこと。

まだ69歳の定年後これからという時だった。

それ以後、私はだんだんと世間で名のある人を含めてひとの死に対して無関心を装うようにして生きてきた。

そうした私の態度にますます拍車を掛けたのが東日本大震災だった。

だから、三國連太郎さんの訃報にも私は耳目をそちらの方には向けないように努めてきた。

そんな折、午後の1時過ぎからNHKで三國連太郎さんの追悼番組が始まった。

途中でテレビの電源を何度も落とそうかと思ったが放送の最後まで今回に限り見てしまった。

番組後半で流された三國さん出演のドラマはユーモラスな内容で救いはあったもののとても気分は重い。

休肝日明けの今日は酒を飲まずにはいられない心境だ。
芸能界では三國さんの後に牧伸二さん、そして、夏八木勲さんが続いてこの世を去った。

この間、とりわけ東日本大震災以降の私の自身を含めたひとの死に対するスタンスが改めて問われていたような気がしてならない。

確かにひとの死と向き合うことは辛いことでもあるし、それを受け容れるには時の経過を待たねばならない作業ではあるが、これからはひとの死に背を向けるのではなく私なりに明るくそれと付き合っていこうと何かが吹っ切れつつあることを感じている。

牧伸二さんの追悼記事の中で私はこう書いた。

せめて私が死ぬ時くらいは落ちのある笑えるものにしたいと。

そうした考え方がひとの死全般に適用出来るものではないことは私も知っている。

だが、それが私にとっての「おさらばの思想」であることに違いはない。