神霊写真
ポポさんという呼び名で私との間では通っているもう十数年来の付き合いになる仙台在住の友人がいる。 本業の傍ら崩木十弐のペンネームで怪談実話作家としても地道な活動を続けているそんなポポさんの目下の楽しみは神社仏閣巡りだとのこと。 ある日お寺さんで不思議な写真が撮れたということで私の許に彼から送られてきたメールに添付された4枚の画像を以下に掲載する。 それらの写真についてメール本文のなかでさらりと彼はこう語る。 お届けするのを忘れていた神霊写真を添付しました。このメールを読んだ時点では(そのタイトルを敢えて“神霊”写真としたことも含め)私自身あまりピンと来なかったのだが、実はこれらの写真にはある隠された背景があったことを後日改めて彼から知らされた。 話は1年以上前にさかのぼる。 彼が二匹の愛犬を連れ自宅近所の公園を散歩していると、汚い身なりをした小学生らしき女の子が左右どちらかの手で小さな小さな人のカタチをした生きものを今にも握りつぶさんとする場面に遭遇したそうだ。 仮に「妖精」とするその生きものの危機を彼はとっさに察し、逃がすようにと彼は女の子に促したという。 その時の「妖精」が彼に「あの時は助けてくれて、ありがとう」とその姿を現したのが例の写真の結論だと彼はそれを信じて疑わない。 そうした彼のファンタジーについてひと言補足したいことが私にはある。 ファンタジーと思い込みとはその根本的な性質からして異なるものだ。 それをユング心理学風に言えば、現実生活との兼ね合いのなかでその人が自身の心のなかにある種のファンタジーをもち、その健全性が担保されている限りにおいて機能するのであるなら、如何に彼または彼女が豊かで実りある人生を送っているのかを雄弁に物語る証しとなるであろうと。 そのような“ポポ・ファンタジー”の一番の理解者でもあり読者でもあると私は自負してやまない。 |